電話番ができない…社会人になって発達障害と診断される人が急増


事務ミスがとにかく多い。仕事中、1つのことになかなか集中できない。そんな人はもしかすると発達障害の可能性があるかもしれない……。

おもに青年期から成人に達した発達障害を診察の対象としている昭和大学付属烏山病院では、全国から患者が殺到。月1回の診療予約に受け付け開始から約2時間で予約枠が埋まってしまうという。

昨今、社会人になって発達障害だと診断される人が急増している。社会人10年目で発達障害と診断された岩本さんもその一人だ。彼は診断後、自分に向いた仕事に転職し、データ分析の分野で世界1位の実績を出した。彼はどうやって“自分の天職”を知り、めざましい成果を出すことができたのか。

プロフィール:岩本友規さん(36歳)。4回の転職を経て大手外資系メーカーに勤務。データ分析の仕事に就く。発達障害と診断されたのは33歳のとき。2015年3月より『発達障害の「生き方」研究所|Hライフラボ』(http://self.hatenablog.com/)を開設。今年秋にこのブログをまとめた本を出版予定。

■電話をしながらメモが取れない。電話番でつまずいた社会人1年目
大手外資系メーカーに勤務するデータアナリストの岩本友規さんは、社会人10年目で大人の発達障害と診断された。

発達障害には、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、アスペルガー症候群、自閉症、LD(学習障害)、自閉症などがあるが、岩本さんの場合は、ADHDとアスペルガー症候群を併発。アスペルガー症候群には意外と多いケースだという。発達障害の人は、一般の人が簡単にできる業務がうまくできず、自信をなくして心身症やうつ病になってしまうケースが多い。岩本さんの場合もそうだ。前職では向いていない仕事に苦しみ続け、うつ病で1年間休職した。

そもそも岩本さんが「働きづらさ」を感じたのは、新卒のときだ。入社した半導体商社で電話番をしていて、メモが取れない自分に驚いた。

「お客さんと電話で話していたんですが、メモを取ろうとしても全くとれなかったんです。話をしていると文字が書けない。文字を書こうとすると話が耳に入ってこない。電話番くらい普通にできると思っていたので、ショックでした」(岩本さん)

大学時代に講義をノートにとることは全く問題がなかった。岩本さんの場合は、聞いて書くか、聞いて話す、どちらか一方しかできないのだという。

「仕方ないので最初の文字だけ書くようにして、電話を切った後に忘れないよう急いで内容を書いていました。でも正確な内容を忘れてしまうことも多くて、電話番もできないのか、と上司から叱られることもありました」

文系だった岩本さんが配属されたのは、営業部。一般的にアスペルガー症候群の人は営業が苦手だと言われている。しかし、岩本さんの場合は、営業の仕事すべてが苦手だというわけではない。社内のプレゼン大会では副社長賞をもらったこともあったという。

「新人の頃は先輩が同行していたからかもしれませんが、営業に苦手意識はなかったんです。緊張もしませんでしたし。プレゼン大会で副社長賞をもらったこともあり、周りの人からは営業が得意だと思われていたみたいで、先輩から一緒に会社をやらないかと誘われたんです」

こうして岩本さんは社会人2年目で、先輩が立ち上げたソフトウェアの会社に営業職として転職することになる。しかし、その会社は入社半年で倒産。会社がつぶれていく様を目の当たりにした岩本さんは経営を勉強しようと、埼玉大学の大学院に3か月通った。その後、その知識を試したくなって3社目となる社員4人のベンチャー企業に入社。電子マネーの法人営業と技術サポートの仕事に就いた。やはり営業だったが、その会社ではさほど「働きづらさ」は感じなかったという。

「小さな会社だったから、自分のペースで仕事ができたのがよかったんじゃないかと思います。会社の同僚も自分たちで会社を作るような人たちだから、変わった人たちだったんです。自分と同じ匂いがするというか……(笑)。私の行動が変でもたいして気にならなかったのでしょう」

■チャンスだと思った大企業への就職で、働きづらさが全開に
2年ほどそのベンチャー企業で働いていた岩本さん。思いがけず転機が訪れる。大手通信会社からスカウトが来たのだ。通信端末を仕入れる購買担当という、最初の会社での業界知識を買われての採用だった。

「もともとハイテク機器の開発が目標だったので、この大企業で働くことはチャンスだと思いました。でも皮肉なことにこの会社で働きづらさが一気に開花したんです(笑)。購買担当といってもただ通信端末を買ってくればいいわけではありません。他にも業務用パソコンの発注、OA周辺機器の購入、サプライヤとの調整など、多岐にわたる業務を様々な人と関わってこなさなくてはならなかった。まさに苦手な業務のオンパレードだったんです」

特に複数の人を相手に“調整する”ことがきつかったという岩本さん。相手のリアクションに合わせて、臨機応変に指示を出していくことは、他人の表情を読むことを苦手とするアスペルガー症候群の人にとっては難しいことだという。

「全体像を見て計画を立てることも苦手でした。私の場合はADHDもあったので、些細なミスも多かった。打ち合わせで書類をわきに挟んで歩いているとたいていどこかに置いてきてしまったり(笑)。納期があることもつらかったですね。物を捨てられないし整理整頓ができないので、一度にいろんな仕事をすると仕事がどんどん遅くなるんです」

何でこんなこともできないんだと上司から叱られる日々に、辛くて会社に行きたくなくなったという。ストレスが体に出て、通勤電車に乗ると腹痛に苦しむようになった。

心療内科に相談するものの、ストレスへの対策ができず、ついにうつ病を発症。27歳で1年間休職することになる。発達障害が分かったのは復職して数年経ってからだ。

「復職してしばらくして会社が別の通信会社に買収されたんです。そのときに新しい産業医の紹介で主治医が変わって。その人と3~4回面談をして発達障害だと分かりました。最初は主治医もはっきりとは言わなかったんです。処方された薬がADHD向けの薬だったので驚いて医者に問いただしたら、そうですと。戸惑いましたが言われてすっきりした部分もあります」

そこから岩本さんは発達障害やキャリア形成に関する本を読みあさり、自分の適職は何なのか、じっと考えた。

「決め手となったのは、チクセントミハイという心理学者が提唱した“フロー”という考え方です。フローとは“時間の感覚をなくしてやってしまうこと”。それが一番、幸せを感じる瞬間だということです。そこで、これまでの業務を考えて、“時間の感覚をなくしてやってしまうこと”は何か考えてみた。それが“分析”でした。商品の顧客分析をやっていたときは、とにかく楽しくていつも時間を忘れていたんです。自分のフローはこれだ、と確信しました」

障害者認定を受けていた岩本さんは転職活動を開始。データ分析ができる仕事を探した。そして1年後、現在の大手外資系メーカーに障害者採用で入社した。世界中に支社を持つ大手企業だ。

成果が出たのはその1年後、担当分野の予測精度で社内のランキングで世界1位の実績を上げ、所属部署の日本・オセアニア地区2014年第3四半期の優秀賞を受賞したのだ。

「賞とは無縁の人生だと思っていましたから、本当にうれしかったです。今の職場では悩むことはほとんどなくなりました。自信がついたこともあるんですが、“自立”の意識を持つようになったことも大きい。自立とは、自分と周囲を切り分けて考えることだと思っています。自分は自分。他人と違っていてもいい。まずはそう思うことがスタートだと思います」

■ボーダーラインは、うつ状態。専門医にすぐ相談を
「岩本さんのように学生のときは気づかず、社会に出て働いて発達障害だと診断されるケースは多い」と語るのは、1973年から障害者の職業問題にかかわっている文京学院大学人間学部人間福祉学科教授の松為信雄氏だ。

大人の発達障害が急増する理由は、「発達障害が世間で認知されたのが十数年前と歴史が浅いこと。発達障害の定義がいまだはっきりしておらず、医師であっても判断が難しいこと。親が健常者と同じ生活をさせたくて、無理して健常者と同じ進学をさせてしまうこと」などが挙げられるという。

「障害があるかどうかは申告制ですから、おかしいなと思ったら自分で専門家の門をたたくことが大事」と松為氏は語る。しかし岩本さんのように社内に産業医がいるなら相談しやすいが、いきなり病院の精神科にいくのは勇気がいる。

「その場合は『発達障害者支援センター』に相談してみるといいでしょう。医療機関ではありませんが職業相談をすることもできます。しかし、“障害”という言葉がつく場所に足を踏み入れづらいと思う人もいるでしょうから、まずは厚生労働省が認定した若者支援の実績やノウハウのあるNPO法人、株式会社などが実施している『若者サポートセンター』に相談してみてはどうでしょう。カウンセラーと一緒にこれまでのキャリアを棚卸ししていくことは、働きづらさをなくすヒントになります。カウンセラーといろいろ話をして、もし発達障害の傾向があるなら、専門機関を紹介してもらうこともできます」

働きづらさの感じ方は人それぞれだ。どんな風に感じたら相談するべきなのか。松為氏は、ボーダーラインは、“うつ状態”だと語る。

「もちろんうつ状態でなくとも働きづらさを少しでも感じているならば相談に行ったほうがいいと思います。しかし、うつ状態になっているなら赤信号です。すぐに専門家に相談して何らかの支援を受けたほうがいい」

松為氏は、“自立”を「自分の役割を知り、全うすること」だと定義する。そのために援助を受けることに躊躇する必要はないのだという。

■法改正で、障害者雇用は増える
岩本さんは、医師の診断後、障害者認定を受けた。現在の会社も障害者枠での採用だ。転職で応募する際には、健常者と同じ枠で転職活動することも可能だが、松為氏は、もし障害を持っているようなら、障害者認定を受けることも視野に入れるべきだと語る。

「障害者認定を受けることで、企業の障害者採用枠に応募することができます。障害者雇用促進法の改正により、平成30年より40人台以上の企業は障害者を雇用する義務が生じます。現在でも障害者採用枠の人材不足に悩んでいる企業が多いのが現状です」(松為氏)

現在は障害者の昇進や昇給を重視していない企業も多い。しかし障害者雇用数が増えれば、企業側はそれも考慮していかねばならないだろうと、松為氏は語る。

岩本さんも「障害者手帳を持っていることを前向きにとらえればいい」と話す。

「私も妻子を抱えていますから、待遇に関してはいろいろ考えました。でも働きづらさを抱えたまま自分に合っていない仕事をしていても、苦しいだけで長くは続きません。まずは自分の適職に就くことが大事。そのために障害者枠を利用し、そこで実績を出せれば、次は一般枠で転職するという道もありえるのですから」

必要なときは援助を受ける。自分の役割を見つけスキルを磨くことができれば、それが社会への恩返しになる。それが生きがいにもつながるのだ。

EDIT/WRITING 高嶋ちほ子

(リクナビNEXTジャーナル)

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